難波にも路上で生活している方々を多く見かけた。

大阪城公園も路上生活者のビニールシートで確保した住居が多く存在した。

長居公園にも多く居る。

何時も電車で大阪の方に来ると窓から見えるのは野宿生活者の住居が見えてくる事。

昔から新今宮、天王寺は野宿者が多く居たものだ。

天王寺美術館への階段には沢山の方が座っていた。

私はフランダースの犬を思い出すのだ。

貧しいが夢が有る少年は其の夢を追うのだが・・・

最後は・・・・最愛の犬と共に・・

貧しい者、人生に敗北して来た者は昔は非情に淘汰されて来たものだ。

しかし、或る宗教を信じた者は貧しい者にも救いを施しを与えていたものだ。

其れには自分達の私利私欲の為に活動するより、自分自身の純粋な他人の為にと思う志からだろう。

宗教と云うより、此れは自分の意思だろう。

大阪の裏の色。

哀しい色やね。

哀しみの捨て場所、吹き溜まり。

敗北者も暖かく迎えてくれる、もしかして暖かい町。

大阪の華やかな表の顔と裏の顔。

昨日は表の顔ばかりを見たので酷い疲れ方をしたのだろう。

帰宅して彼に逢うも疲れていて、彼も察してくれて帰宅を促してくれた。

其の後は、崩れるように眠りに就いた。

コメント

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索