雪と氷の旋律

2008年11月11日 音楽
エンヤは離婚前に此処の田舎に娘と着の身着のままで逃げてきた時に購入した。

「ロードオブザリング」のエンディングで流れるエンヤの曲が大好きだったからだ。

私と娘は其の頃の心境は滅茶苦茶に壊れていただろう。

あの時の元配偶者の私達親子に対しての冷たい仕打ちは生涯忘れられないものだろう。

そうだ・・元配偶者の母親の豹変も驚いた覚えが有ったな。

元配偶者の母親の態度が豹変し始めたのは、自分の長年連れ添ってきた連れ合いが他界した時から既に始まっていた。

連れ合いの居る時には常に連れ合いを意識して猫を被る性格。

妾の母親を持ち、貧困な幼少時代を過ごした元配偶者の母親にはダイヤの原石で有った連れ合いは逃せない大きな獲物だったと思われたからだ。

私が今、元配偶者の両親を其れまで見てきて、冷酷に分析して改めて言い得る事だ。

で・・あの時の元配偶者の母親の豹変振りも一生、私達親子には忘れられないものと成っている。

あの頃は離婚もしてなくて、着の身着のままでの実家での生活は本当に酷い状態だった。

大阪の家に全てに近く置いてきた親子の物。

其れを全て俺の物だと主張する元配偶者に、私の相手に対する憎悪は膨れ上がっていた。

そして、娘は心理的にも目茶目茶なままで慣れないクラスのまま修学旅行に・・

其の頃の彼女の写真は全て笑いがない。

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私達、母子の部屋には何もない部屋。

テレビも無かった。

で・・お金も無かった・・・

が・・私はテレビとコンポを少ないお金を使い切り買い求めた。

テレビは彼女の部屋に。

コンポは私の部屋に。

がらんどうな部屋にコンポがひとつ。

服も思うような物が無くて・・友人から中古品を貰い半年を凌いでいた。

何故にお金に困窮したか・・

自分の母親が殆どに近く援助してくれなかったからだ。

そういう母親だから・・大阪に逃げて元配偶者と結婚してしまった・・

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あの頃の事は私達親子は一生忘れないだろう。

其の頃に購入したエンヤのCD。

あの頃はエンヤの曲無しでは私は生きていけなかった。

其の後も、一年近く続いた裁判で大阪に電車で通う私の心理状態は・・・他人が見たら壊れていると見られていただろう。

友人も私の異常な心理状態を理解してくれていた。

尚、私達親子を追い出した後の元配偶者の放蕩ぶりは、今は何処かに移動しているか、消えたのかの「僕を愛して」・・と云うブログに書かれていたので理解した。

エンヤの曲。

今は時々しか聴かなくなった。

此れは・・・幸せに成れたからかもしれないな・・・

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