あのころ・・・

2014年1月12日 日常
あのころ・・・
あのころ・・・
亡き彼が未だ生きていた頃・・・

でも・・終焉は迎えようとしていた頃。

良く聴いていたのは安部泰弘だったよなあ・・

其の後に逃げる様に汚汚阪に向かって・・姉と義兄の当時に住んでいた公団住宅に。

ただただ逃げたかった、母親から。

亡き彼と私を無理矢理に引き離した母親から逃げたかった。

思うに、あの頃でも未だ母親に歯向かう事が出来なかったんだよなあ・・

親だと云うだけでヒタすら我慢していた。

だから逃げるしか無かった。

此れがソモソモの間違いだったのは今に成って理解出来る。

が・・後悔先に立たず。

姉は其の頃、丁度長女を出産したばかりで、私の存在は明らかに邪魔だったっけ。

其れで、2・3日は泊まらせてもらったが・・・其の後に何故か私から別れを告げて交際を断っていた元の所に転がり込んでしまった。

元は交際当時から非常に付き合い辛い難の有る性格だったから私から交際を断っていたのに・・・

其れと、元は同じ異性と長い期間を付き合えない性格だったのは婚姻してから後に元の或る記述ノートで知ったっけ。

そうだなあ・・

結婚前にも既に元の過去の行動を知ってしまったな。

超超自己愛無限大なのも・・・苦笑・・

其れは私の荷物が元の家に運び込まれた後だった。

結納も済ませていたし。

本音は結婚式をキャンセルしたかった。

思うに、此の様な場合は先の事を推測してキャンセルした方が良かったのだろうは今に成って分かるんだよね。

結婚って私の価値観だと、一度籍を入れてしまうと余程の事が無い限り我慢しなくてはいけないと思い込んでいた。

其れに幾等相手に大いに不満が有れど、他所を向く様な事は実行してはならないと、籍を抜くまでは。

此処の田舎の地域は殆ど全く離婚した家が無いからか。

此処の地方の価値観は道に外れる事はしてはならないと云う歯止めにも成っている。

が・・今の私の彼氏の地域は此処と価値観が全く違うのだな。

たった1キロ離れただけで・・・

離婚・再婚当たり前。

道成らぬ恋も、し放題。

極端な場合は3度結婚も当たり前。

まあ・・彼の父母は違ったが・・・

異父母兄弟は当たり前。

で・・幾等意の添わない相手でも我慢して生涯添い遂げるのが結婚だと当時は思い込んでいた私だったな。

そして、気持ちが重く成ったら音楽や映画を見る事で解消しようとしていた。

仕事もしていたから仕事場でもストレスは凄かったし。

でも、癒し方法を考えて現実から逃避しようとしていた。

何時しか不眠にも成っていたのに・・・我慢してた。

そうそう・・時々、仕事が休みの日に京都に行くのもストレス解消に成ってたのも。

で・・婚姻中にも色々な洋楽を聴いていた。

此のライオネルリッチーの曲も癒しだったなあ・・

今は・・・・此処に書くのも癒しに成ってるし・・・


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