かんさいだけ・・・
かんさいだけ・・・
かもね、此の番組。

午前中は某番組を見る事が多い。

関西中心、汚汚阪を中心に歩き回る企画な番組。

今日は特に為に成りましたな。

明治の頃の作品でしょうかね。

あ・・大正時代の作品らしい。

今はボストン美術館に有る様で・・・

今回の取材で亡某人が3回??結婚してた様で・・

芸術家は婚姻を繰り返す人物が多いよなあ・・と。

其れと息子さんが自分の父親が芸術家だと全く知らなかったらしいし。

其れに三番目の配偶者との子供だったらしいので、晩年は貧困な生活をしていたとの事。

其れに京都出身だったとか・・・

そうなんだあ・・・と。

京都は戦争とは殆ど無縁だっただろうから。

だから、今も昔の寺院が顕在しているのだから。

其れに地震の被害も余り受けない地域なのかと。

自身は本来は京都に就職するつもりだったんだもんなあ・・

学生と家族と年寄りの地だもん。

若い子ばかり目立つ地域じゃないのが好きなの。

其れに派手な格好をしてる人も少ないし。

上品な家族連れなんかは良く見かけるけどね。

後は質素な地方から来たらしい学生と田舎から来た様な観光客ばかりだった。

当時はね。

大学時代も派手な露出したサーファーの格好をした学生は殆ど汚汚阪から御越しでしたもん。

腹巻みたいな上着を着て下着の見えそうなスカートとポックリサンダル。

其れにブトンのバッグと云ういでたち。

ファラフォーセットの髪形が当時は流行っていたから髪形もファラそっくりにしてた同級生が多かった。

あ・・地方の田舎から来た学生は私も含め超質素でしたな。

特に下宿すると自炊をするのだが超質素に節約料理に励んでいたもん。

外食なんて殆ど全く無しよ。

そうだなあ・・アルバイト先で食事が付いていた時は狂喜したしなあ・・

味は大味だったけど・・・金銭的に節約できて有り難かったな。

て・・

今日は節分・・・・らしい。

祖父母が生存中は豆と御寿司は恒例だったな。

でも、祖母が早くに他界したら・・・ネぐれストみたいに成ったよなあ・・

まあ・・私達姉妹は或る程度自炊出来る年齢に成っていたから・・・

しかし、冷蔵庫の中は殆ど空っぽだったな・・・

其れに御金は母親が握っていたから・・・ねえ・・

御飯に梅干しに砂糖醤油を混ぜて食べたり・・・小麦粉と砂糖と水だけでホットケーキもどきを作って食べたり・・・

今思えば炭水化物で空腹を誤魔化していたっけ。

だから、大学で地方から出て初めて少ない仕送りで遣り繰りした方が贅沢出来た気がする。

其れほど、母親は一般的な母親で無かった。

子供のままで老婆に成っている現在の状態を見て改めて思うし。

私達姉妹は祖母に育てられたから未だマトモに育ったような気がする。

で・・節分は巻き寿司の丸齧りや今年は東北東を向き無言で完食せよ等は汚汚阪に来て婚姻してから初めて知ったんだもん。

此処の田舎じゃ其の様な行事は無かったもん。

鰻の行事もそうだしね。

何と無く飲食業の作為を感じてる。

でも、最近は此処の田舎でも大騒ぎ。

地元のスーパーなんか大騒ぎしてるもん。

で・・彼の家では一応・・・彼の亡母親が汚汚阪出身だったし・・

因みに彼も彼の娘も鰯が好きじゃない。

でも、昨日は彼の父親が節分くらい鰯が食べたいと呟いたの。

平日の何も無い時は5匹くらいで100円で売ってるのに、節分の日は1匹150円で売ってて苦笑。

正月の鯛だって平日は半額で290円くらいで買えるのが、2000円とか3000円とかに成ってるもん。

御目出度いの鯛なんでしょ??

で・・今日は節分みたいですが我が家の場合は母親は昔から季節行事は無視してきたから・・・今年も無視です。

と・・・上記の亡人は着物の図案家で有ったらしいですな。

良く似た感じでは竹久夢二とか・・・を。

思えば大正時代は比較的平和であってロマンが全盛だったのだろうかと。

西洋と和の融合の良さが満載の頃だったのか。

で・・何でボストン美術館が所蔵してるんだろうかね。


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