わたしの・・・

2018年4月17日 日常
わたしの・・・
子供時代は祖母の料理で育てて貰ったので、比較的添加物なしの安全な食事が出来ていた様だ。

食は本当に大事だと思うから。

自身の子供の頃は加工品は村から随分離れた町まで買いに行かないと行けなかったのも幸いだったのかも。

家も兼業農家で農作物を殆ど自給していたのも。

味噌や梅干他の家で作れるモノは殆ど手作りだったから。

外食も子供時代はしなかったし。

唯一の外食は饂飩を食べた事しか記憶にない。

其れも饂飩に七味を知らないで入れたので食べられなくて、母親が食べていたし。

地元の体育館にサーカスが来た時だろう。

覚えてるからなあ・・

就学前か。

幼稚園は三分の二は病気で休んでいたし。

昔は身体が弱かったのだ。

で・・今でも思うのは田舎の高齢者が作る料理は美味しいイメージが有るのだ。

野菜ばかりでも美味しいと。

昔は季節の野菜ばかり食卓に上がる事が多くて、今の季節だと筍ばかりとか・・

祖母はチャンと灰汁抜きもしていて味付けも実に美味しくて・・

第一、味噌汁が非常に美味しかった。

当時はチャンと出汁をとっていたし。

味噌も手作りだったし。

紅ショウガも紫蘇で染めていたな。

真っ赤な人工着色料の紅ショウガを国営放送の料理番組で使用しているのを良く見るけど・・・

国営なのに此れって・・・て、思ってる。

油を沢山使った料理も多いしなあ・・

最近は肉を焼いたら、肉の油が出てくるから、其の油だけで野菜を炒められるし。

別に長生きしたい訳じゃないが、真実を知ると何だかなあ・・

まあ・・彼との付き合いも有るから極端に避けられる訳もなく。

外食も高価なランチだからと良い調味料を使っているかは分からないし。

で・・大学時代で下宿した際は料理に凝ったわ。

少ない仕送りで節約して下宿で料理してたし。

思うに、あの頃が一番充実した手作り時期だったのかも。

其の後に婚姻して子供が出来て色々な書物と偶然に巡り合い、戦後の食の人工汚染を知る事が出来て正直ショックだったもん。

其れも食だけじゃなく色々なモノが人工汚染されていた事実。

当時は琵琶湖の汚染を食い止めようと、主婦たちが合成洗剤を止めて石鹸洗剤を使う様にしたら、水質が改善されたとの記事を見たもんなあ・・

自身は子供を産んだ事はこれ等の知識を得る事が出来て本当に良かったと思ってる。

で・・食は非常に大事だって事ね、総合すると。


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