もういくつねると・・・・
子供の頃からクリスマスは無視されていたし。

お正月も父親の親戚の家に行くと楽しかったが、此処の実家には母親が居たから本当に暗い毎日でウンザリしてた。

祖母が生きていた頃は母親は父親と共に仕方なく田畑に出掛けていた様だが、殆どが見てるだけだった様だ。

何せ、邪魔に成り仕事の足かせだった様だから。

父親は祖父とは仲が悪くて、祖父は元々農業は苦手で、毎日自転車で買い物に行くのが日課だった。

何せ当時は小さい地主だったので、戦前は農地を小作の人に殆ど貸していたので、祖父の農作業は戦後に初めてする様に成ったらしく素人の様だった。

父親は実家が農家だったので色々な知識が有り祖父に意見を云うと、何時も喧嘩に成るのは常だった様だ。

祖父は農作業は素人なのに一応は家長なので偉そうに蘊蓄を述べていた様だし。

父親はキチンと作業をする方だったので、祖父の好い加減な仕事態度が我慢出来なかったらしい。

或る際に又も喧嘩をしたらしいが、其の後に祖父は農作業を一切しなくなった。

そして毎日を町まで自転車で買い物に行くのが日課に成った。

自分が家長で財産も管理していたから、自分の好きなモノを買っていた様なのは私が幼児の頃に母屋に行っていたから知っていた。

そうそう・・・

養命酒は何時も購入してたし。

健康ドリンクも何時も押し入れに有ったし。

母親や父親は御金を思う様に貰えずに絶えず不満を漏らしていたのは覚えている。

特に母親。

思うに、父親は大層我慢してたと思う。

婿と舅のイザコザ。

嫁と姑の逆バージョンが毎日繰り返されていた様だから。

私が幼児の頃は何時も父親に車に乗せられて彼方此方行った覚えが有るし。

父親は逃避したかったのだろう。

母親が祖父に激似だったのも・・・ウンザリしていたと思う。

全く可愛げのない汚女の所に婿養子に来た悲哀。

本当に思い返すと可哀想な半生を過ごしたと思う父親。

元配偶者の父親と比べると気の毒に成るけど・・・

父親はキチンと真面目に生きたと思う。

婿養子状態でも本当に我慢してた。

我慢した理由は父親の母親のせいだったと今は思う。

父親の母親は若い頃は本当に美しい女性だったと思えた人だったし。

配偶者は若くに他界していた様だし、子供が5人居たが2人は戦死してたし。

・・・・・

兎も角、性格も温厚で良く出来た女性だったのを覚えている。

だから、多分に父親は自分の母親の為に我慢したのだろうと。

・・・・・

子供の頃を思い出すと本当に色々と大人の事情を考えて、此の年齢に成ると特に複雑な心境に成る。

色々思い出すに、祖父と母親は容姿もそうだが性格も激似で有ったと。


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