かつて・・・・

2020年10月25日 日常
かつて・・・・
汚汚阪に居る頃に、京阪電車に乗り京都の四条や三条に良く行っていた。

其処から歩き、藤井大丸の地下の健康食品の店に必ず行っていたなあ。

其処には当時は食堂も有り、其の食品を使った料理や弁当が販売されていて。

其れ等を購入しては加茂川の川べりに降りて、座って川を見乍ら一人で食べたモノだわ。

今だとトンビがウロウロしているらしいけど。

嘗ては京都って全体的に外食は余りしなかった想い出が・・・

行っても安い所に。

阪急百貨店の上の食堂街には友人と良く食べに行ったなあ。

今は無いけど。

最近は百貨店が閉店する時代らしいからなあ。

向かいに或る高島屋は未だ健在なのか。

藤井大丸と大丸は当時から何となく違い、私は藤井大丸の方が好きだったっけ。

其処で弁当も購入したが、食堂でカレーも食べたな。

無添加のカレー。

美味しかったっけ。

そして、地元の県の百貨店に行く際も、地下の食堂街に行く場合が多い。

何せ無添加の食品や調味料が置いてある。

まあ・・最近はネットで気軽に注文が出来る時代に成り有り難いが・・・

出掛けなくても欲しいモノが自宅に届けられる時代。

便利なのかなあ。

で・・新米の季節。

私の家は嘗ては農家だったから。

新米は古米を食べきらないと新米は食べられなかったからなあ。

其れと、米は一粒も残さずに食べろと云われていた。

残った米も絶対に棄てずに翌日に蒸して食べたし。

粥とかにも良くしていた。

今だと薩摩芋粥。

其れに金山寺味噌を入れて食べるのが子供時代の御馳走だった。

祖母が存命中は漬け物は常に有ったし。

梅干も手作り。

其れと味噌汁は毎食。

出汁は鰹節。

祖母は何時も当時は釜土で御飯を炊いていたからなあ。

昔の女性はコの様な事は出来るのが当たり前だった様だし。

服もミシンで手作り。

手縫いも当たり前だった。

で・・米作りは当時は大変な作業だったわ。

何せ牛が一家に一頭必要だった。

牛小屋が在るのが当たり前。

獣医と云えば牛の為の獣医だった様な・・・

今は機械で便利だと云うモノも居るけど、農機具代は高価だわ。

今の私の家は父親が他界したし、農機具の入ってた母屋は新しく建て替えて。

農機具も無くなり・・・

あ・・蔵は残ってるけど・・・

都会に居てサラリーマンの汚方々は新米が気軽に食べれる有り難さを知って欲しいわ。

デスクワークで御給料を貰える有り難さ。

或る意味で自身では労働には値しないと思ってるのよ。

此れは私も含む。

父親は地下足袋を履いて、水田に入り作業していたのを忘れないの。

アソコには足に吸い付く蛭が居るのよね。

私も子供時代に蛭に吸い付かれた事が有るからなあ。

そして、戦後は此の国の農業を衰退させる為にパン食を給食に強制。

農業は衰退させる様にしていた様な気がするのは現在を見て思うからなあ。

水も散々に合成洗剤で汚されたし。

公害と云うモノも・・・

長閑で自然に満ちた此の国は戦後に目茶目茶に成ったのだと。

今は野生生物が増えて被害者も出ている様だけど、アノ国が日本狼を絶滅に追い遣ったせいだと云われているからなあ。

自然の連鎖を壊すと駄目なのは、あの国自身が狼を他国から入れた事で理解してる筈だし。

彼方此方の国の環境を破壊して目茶目茶にしてきたからなあ・・

何せ、自分達以外は人間じゃないらしい。

此方から言わせて貰えば、彼方の方こそ人間じゃ無いし。

ミックスらしいもん。

現地人を殺戮して其の国を侵略して、欲しいモノは全て懐に入れてきた。

で・・戦後は此の国は目茶目茶な現状なのだと思うばかり。

何せ、化学肥料や化学農薬で自然環境は・・・・

此れは室内にも除菌だとかジャブジャブにシューシュー・・・

トドメは5Gで癌発症・・・か。


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